青梅 一松肉店

一松肉店のあゆみ scroll

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昭和六年創業

江戸時代には、藍色が美しく青梅縞と呼ばれた「青梅織物」や、江戸城にも使用された石灰の産出で、街道沿いの宿場町として栄えた青梅。

昭和六年に創業された一松肉店は、初代「繁松」氏を中心に、昭和の動乱の中で、青梅の台所を支えた。

繁松氏も出征した、太平洋戦争の空襲の際には、遠く東京都心の空が真っ赤に色づいたのを青梅の地から見れたのだという。その時の爆撃機の残骸は、現在も青梅の郷土資料館に保存されている。

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近代化の流れ

明治二十七年に完成した青梅鉄道は拡大し、日本の経済が発展するのに合わせて、自然が豊かで住みやすい青梅には多くの人が移住した。昭和四十年には東部工業団地も建設され、首都の西端であった静かな青梅にも、近代化の流れが押し寄せた。駅前には大きなデパートが建ち、近隣の商店は少なからずその影響を受けた。

二代目「森造」氏の一松肉店も、青梅の成長と共に、デパート内にも店舗を構え、昭和三十二年完成の青梅総合病院に卸しを行うなどして、発展していった。人口が十万人を超えたのは昭和五十二年の事だった。

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青梅の自然と文化

山梨県甲州市塩山を源流とする多摩川は、青梅にも豊かな自然と文化をもたらした。御岳山を中心とした山間部には、多くの自然スポットがあり、永山ハイキングコースはトレッキングで若者にも人気があり、天気が良い日は富士山を望むことが出来る。

「日本名水百選」にも選ばれた御岳渓谷は、キャンプやリバースポーツで賑わい、日本酒「澤乃井」は知る人ぞ知る、青梅を代表する銘酒である。「宮本武蔵」や「三国志」を書いた、文学作家「吉川英治」は、青梅の名誉市民に選ばれている。

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これから

現在の青梅は、レトロな街並みや、空き家をリノベーション利用した古民家カフェ等、時代に合わせた「新しい青梅」が形作られている。毎年行われる青梅マラソンや、青梅大祭は今でも大変に賑わい、新しい町作りと合わせて、特別な空間を演出している。

一松肉店も時代に合わせて変化してきたが、おいしいお肉や自家製のお惣菜で皆様を喜ばせたい、という思いは今も変わっていない。これからも青梅と共に、皆様に変わらぬ味を届けて行きたい。

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